引き写し 円城塔『エピローグ』 p42より

 現在の現実宇宙の解像度は2.0×1035Ppi、つまり二〇〇ギガyPpiに達しているとされており、数年以内にさらに倍になると予想されている。OTCによる宇宙増築工事の成果だ。yPpiは宇宙解像度の単位であり、プランク長・パー・インチを示す。一インチの中に宇宙の最小単位プランク・レングスが何ヨタ個入るかを表している。退転以前の現実宇宙の解像度はおよそ一ギガyPpiしかなかったから、以来宇宙は二百倍程鮮明になったということになる。勿論この現実宇宙でも、物理定数としての古典的プランク定数の値は変わらない。一インチの長さも同じだ。だから別にこれはプランク定数をゼロに近づけて量子古典対応をとるとかいった話ではない。大豆の詰まった瓶に罌粟の実を注ぐというような話であり、OTCは新しい宇宙に新しい超法則を注ぎ続けているわけで、宇宙の解像度はぐんぐん上がり、 宇宙像はりた多様体の皺の奥の奥までどんどん鮮やかになり、本人も知らなかった素顔を暴き立てられている。OTCは現実宇宙の底に新たな階層を継ぎ足すことで既知宇宙を猛烈な勢いで改築しており、裏張りをはがしてアスベストにまみれながら基礎工事をやり直してくれているわけだ。誰もそんな工事を発注した覚えはないという問題はあり、所詮は人間とはありようが異なる知性のやらかすことだ。
 人類の網膜や鼓膜、腹膜や横隔膜といった虚実皮膜は解像度を増していく現実に耐えきれず、インタフェースは過負荷を受けて燃え上がる。そんな情報量を処理するように設計されていない上に、生の現実を耐え切ることのできる認知過程なんてものは存在しないのだから仕方がない。せいぜいが、輝きを増した世界を漠然と、崇高や美として感じ取るくらいのことができるにすぎない。何が何やらわからぬなりに畏敬の念に打たれてひざまずき、ついうっかりと祈りを向ける。願いを重ねる。何かを誓う。捉えどころのない具象なのか抽象なのかもよくわからない何かを勝手にそこに重ねて見いだしていく。理解されるべきものがそこにあるとだけは気配で察し、その情報を処理する器官を欠いたまま、見当違いの処理系へとバイパスさせて、応答のない孤立の中で偽の返信を自ら捏造ねつぞうしては熱狂していく。
 OTCの侵攻が開始された瞬間から、世界は光に包まれた。あらゆるものが喜びに満ち、輪郭は研ぎ澄まされて鮮明になり、葉脈の一本一本が、甲虫の脚に生える毛の一筋一筋までもが至高にして究極の美として顕現した。細菌が歌い、ウイルスが踊り、空間を過ぎる光子の軌跡が、ニュートリノの引く尾がおごそかな姿を現した。電磁波の波紋がやわらかに宙を満たして、重力波のゆったりとしたうねりが人々に涅槃ねはんへの道を示し、ヒッグス場が生の虚無を万人の前に開示した。時間が色をまとって広がり、空間が流出していった。
 人々は彼岸の池のほとりで半跏思惟 はんかしいの姿勢をとって蓮を見つめ、テーブルの上の目玉焼きの黄身のてかりを静かに眺め、互いの顔を生き生きとした光の中に見いだして、生まれ変わったような清々しさで目礼を交わし、全ての業はただ出来事に唯物的に還元された上で唯名化され、日常の恨みつらみやねたそねみは完全な美へと分解していき、負債もまた完壁な崇高さの中に解消されて、敵と味方は手をとりあって大般若経だいはんにゃきょうを唱えながらピーナッツバターの沼へ溶け込んでいった。誰もが頭の中に静かな詩の朗読を聞き、争いは絶え、口元には穏やかな笑みのみが浮かび、いつくしみが世に溢れ、謝罪を受け入れる以前に全てはあらかじめ許されていることが明らかであり、
 人々は、
 許されてあり、
 忘我のうちに衝突した車の盛り上がるボンネットを陶然と眺め、煙を上げるフライパンを、取り落とされたマッチの火が燃え広がるのを、ただ穏やかに見つめ続けた。自らの体を這い上がる炎の舌を、急速に遠ざかっていく水面を、そこから差し込む陽光を、雲を分けたヤコブの梯子を、筋になって街のあちこちから立ち昇る黒炎を恍惚として眺め続けた。美と崇高が全てにまさり、あらゆるものに勝利した。高速道路を埋め尽くした車の中でハンドルにうつぶせた人々が体重をかけっぱなしにするクラクションが黙示録の喇叭ラッパがわりに吹き鳴らされ、燃料の切れた飛行機たちは黒い剣ストームブリンガーの群れとなって次々と地表へ突き立ち、人々は整然と展開していく万物のかけがえのなさに歓喜し、涙した。
 食べ物を見つめたままでその美しさを、世界の貴さを讃えて微笑み続け、自分がその自然の一部を構成していることに心の底から感謝しながら、地球人類は至福の裡に、一二〇億の人口を餓死によって失った。