引き写し ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』(中村佳子訳) p16より

 難しいのは、ただルールに従って生きていればいいというわけではない、ということだ。なるほど、あなたはなんとかルールに従って(ぎりぎり、瀬戸際という時もあるが、全体としてはどうにか逸脱することなく)生きている。期日までに確定申告をする。期日どおりに請求書を決済する。絶対に身分証(そしてクレジットカード入れ!)を持たずに出かけたりはしない。
でも友達はいない。

 ルールは複雑、多岐にわたる。規定の時間働く以外にも、きちんと買い物をしなくてはならない。ATMできちんと金を引き出さなくてはならない(そして、たいていの場合、順番を待たなくてはならない)。なによりもまず、生活のさまざまな側面を管理するそれぞれの機関に支払いをしなくてはならない。さらに、病気になることもある。諸費用と新規の手続きが必要となる。
 とはいえ、まだ自由時間も残っている。なにをしよう?どのように活用しよう?人のためになることをしようか?でも結局のところ、他人にほとんど興味がない。レコードを聴こうか?それもひとつの答えではある。しかし歳を取るにつれ、次第に音楽に感動しなくなってきたのも事実だ。
 日曜大工はその意味で最も一般的な選択であり、ひとつの道を提供してくれるだろう。しかし、なにをしたところで本当の逃げ道にはならない。次第に、どうしようもない孤独、すべてが空っぽであるという感覚、自分の実存が辛く決定的な破滅に近づいている予感が重なり合い、現実の苦悩に落ち込むことが多くなる。
 そして、それでもまだ、あなたは死にたくないと思っている。

 あなたに活気のあったこともある。活気があった時期もある。なるほど、もうよく憶えていないかもしれない。しかし写真が残っている。おそらくは青春時代、あるいはその少しあと。その頃はなんてがつがつしていたのだろう! 生きることに途方もない可能性を感じていた。その気になればポップス歌手にもなれたし、ベネズエラへ旅立つこともできた。
 もっと驚きなのは、あなたに子供時代があったということだ。これからある七歳児を観察してみよう。彼は居間の絨毯の上でおもちゃの兵隊で遊んでいる。どうか注意深く観察してほしい。親が離婚したため、彼に父親はいない。化粧品会社で重要なポストに就いている母親と、一緒にいる時間も少ない。それでも彼はおもちゃの兵隊で遊んでいる。そして、そうした兵隊たち、この世界と戦争の表象に彼が抱いている関心は、非常に高そうだ。すでに彼には少し愛情が不足している。それはたしかだ。しかしどうやら彼はこの世界にものすごく関心を持っている!
 
 あなたもこの世界に関心を持っていたことがある。ずっと前のことだ。どうか思い出してみてほしい。あなたは、ただルールに従っていればいいという領域に満足できなくなった。もうそれ以上、ルールの領域では生きられなかった。だから闘争の領域に飛び込んだ。どうかその瞬間に立ち返ってみてほしい。それはずっと昔のことだろう?思い出してみてくれ。あの時の水の冷たさを。
 いまや岸はすっかり遠くなった。そう!岸は本当に遠い!あなたは長いこと、向こう岸があると信じていた。いまや事情が違う。それでもあなたは泳ぎ続ける。そしてひと掻きごとに、溺死に近づいている。息が詰まる。肺が燃えそうだ。水が冷たくなってきた。なにより苦くなってきた。あなたはもうあまり若くはない。いまや死にかかっている。大丈夫。僕がいる。あなたを見殺しにはしない。続きを読んでくれ。
 今一度、思い出してみてほしい。あなたが闘争の領域に飛び込んだ時のことを。